人が集まる生き方を考える
「私はこの世界でどんな手を使ってでも一番になってやる!!」
なんかドラマとか漫画とかありそうなセリフ。
でもさぁ~
会社とかで一番になる必要ってある?
集団の中で生き残れれば良くない?
集団の中で周りを蹴落としながら一番になったとて、
出世したらしたで部下になるのは、
その蹴落とした人々になるわけで…
同僚とか周りが上に押し上げてくれたほうが嬉しくない?
とか思うわけですよ。
よく言われている。
「出世したければ上司を出世させればいい」
これって人が集まる人の本質だと思うんですよ。
上司に人と仕事が集まる→
上司と自分たちが手いっぱいになる→
自分たちよりさらに下の階層が必要になる。
※会社の組織的に下を作るのではなく、出世する人を作る。
係長が課長に出世する、
課長の部下は係長になる。
係長のポストが空く、
そして係長なるのは、
新課長の部下で人が集まる人。
集団であるならなんでも一緒!!
ある人の話。舞台は架空の会社
とある人は、集団の中で一番になろうとしていました。
事実、
「私はこの集団の柱になる!!」
とそう意気込んで公言していました。
その人の言葉を信じて、
その人の下についている人は、
たくさん私財を投じました。
また、その人の周りの人も
頑張っているならと、
一緒に競争をしていました。
しかし、とあることをきっかけに
その人は周りを蹴落としてでも一番になろうとしました。
会社のモノから何から何まで自分のために使うようになりました。
そして、何年の月日が流れました。
その人は相も変わらず会社を自分のモノの様に扱っていました。
ですが、ついに使えるモノが無くなってしまいました。
すると、その人はそこに使えるものが無いとわかると
自分の都合のいい別の会社に移ってしまったのです。
その人は、長い年月で歪んだ思考で
こんなことを考えていました。
「私が別の会社に移っても周りの馬鹿な連中は私についてくるだろう」
ところが周りの人たちは
”一切”
その人についていくことはありませんでした。
それもそのはず、周りにいた人々はその人の
「私はこの集団の柱になる!!」
この言葉を信じて、
いつかこの会社に大きな利益を運んでくれると思っていたのです。
裸の王様となったその人は、
「私は間違っていない私は間違っていない」
と突き進み続けましたが、
周りは
昔のあの人はどこに行ったんだろうか、
昔のあの人だったらね~
と思い続けましたとさ。
残念、残念。
一番でなくても良くない?
一番になってお金だけある人生なんて意味ある?
営業成績一位!!ボーナス万札の束!!
でも、友達いないからキャバクラでシャンパン!!
みたいなの幸せ?
それよりも
葬式で人がたくさん参列するほうが良くない?
肉体がこの世にある最後の日に
「あの人には世話になった」
って聞こえることはないんだろうけど
言われたほうが幸せな気がする。
幸せは人それぞれだろうけど…
個人的には人が多いほうが幸せです。
以上!!
